第一話
〜1〜
 逃げる逃げる。
 少女は逃げる。
 武器を持った人の群れから。
 逃げる逃げる。

「待ちやがれ!!」

 男達の怒号が飛んでくる。

「嫌に決まってるじゃない! 死にたくなかったら引き返す事ね!」

 少女が返した。腕より長い袖が音を立ててはためく。

「舐めやがって……行くぞおまえら!」

 一人の男のかけ声に合わせて大声で男達が唸りを上げた。
 人数が多いからか、少女はうまく撒くことが出来ずに禍々しい森を抜けた。
 目の前には洞窟の入り口。以前はなかったように思われる崖にぽっかりと開いた穴。左に川、右に林。洞窟に逃げるはずが無いだろうと、中に入りたい理由をねつ造して洞窟へと駆ける。
 洞窟の中に流れる水が涼しくて、清々しい。



「あっ」

 少女は声を漏らして立ち止まった。行き止まり。逃げ場がない。

「馬鹿やっちゃったなぁ。面白半分で洞窟に入らなければよかった」

 茶色のロングコートを羽織り、茶色の帽子を被った銀髪の少女は大きくため息をつき、振り返る。
 目の前には十数人ほどの人の群れ。恐らく全員が魔物退治を専門としたハンターだ。連携の取り方からして同じギルド内のメンバーだろう。……が、最初に追いかけてきた数よりもいくらか少ない。違う場所に追いかけていったか。

「もう逃げられないぞ、【月光】」

 群れの中の一人の男が剣をメルトに向けた。

「その呼び名は止めてくれる? 私はメルト。唯のスライムなんだから」
「唯のだと? 今まで何人の人間を殺してきたと思って居るんだ」

 噛みつくように男は言う。その目には怒りや憎しみが感じ取れるが、メルトにはその目を向けられる意味が分からない。
 メルトは金色の目を怒れる男の目線に合わせて、面倒くさそうに腕を組んだ。

「あれは全て貴方達人間の自滅。私は唯私のポリシーを貫いて行動しているだけ」
「さすがは魔物だな。野蛮な考えだ」
「野蛮? 貴方、一度辞書で野蛮という文字を調べてみなさいな。元々何もしていなかった私を退治しようとしてきた貴方達の方がよっぽど野蛮で身勝手だわ」

 メルトは無表情にそう言った。
 男は見るからに不満そうな表情を見せて歯ぎしりし、身体を震わせる。男の後ろからは男の仲間達がやかましく何かを言っていた。何を言っているかなんてメルトには全く興味なかったが。
 洞窟のあちこちで男達の声が反響し響き渡る。その音が不快なのか、メルトは顔をしかめた。

「やかましい人間共。これが最後の忠告よ。命が惜しければこのまま帰りなさい」

 男達はここで少しざわついたが、その程度で帰るほど彼女に脅威は感じていなかった。
 彼女は討伐目標としてかなりの額で指名手配されているが、町人を襲ったり街を滅ぼしたり等という事をしたわけではない。はっきり言ってしまえば彼女を追っていった一部の人間しか殺されていない。
 ただ、それでも人を殺したことには変わりがなく、メルトを退治しに行って死んだ人間が増える度に賞金も増えていっていた。
 ちなみに、彼女を見失ったりして討伐に失敗し帰ってきたハンター達は口をそろえて「よく逃げ回る小物みたいな奴」という。恐らくこの理由が一番脅威を感じにくくしているのだろう。

「やはり俺達を舐めてるな…。名も知れ渡ってない小さなギルドだからといって舐められては困る」

 リーダー格の男が剣を構えた。

「そうだそうだ!」
「親方、やってしまいましょう!」

 男達が口々にそう言う。引く気はないらしい。

「馬鹿な奴ら」

 メルトはそう漏らすと、羽織っているコートと帽子を脱ぎ捨てた。内側に着ているのは黒のワンピース一枚。スカートの端の部分がギザギザになっており、その端に合わせて黄色のラインが入っている。装飾品も何も付いていない、いたってシンプルな服装。
 だらけたコートを着ていた野暮ったい格好のときとは打って変わってすっきりとした服装になったメルトは、自らの髪を一本抜き、男達の一人に投げつけた。投げられた瞬間硬化した髪は、そのまま一人の人間の額を串刺しにする。
 それだけでは足りないのか、メルトはさらに追撃をする。何十本という針の群れがその一人に集中し、男の仲間の一人はハリネズミのように針だらけになった。
 男達はそれを見て一瞬たじろいだが、すぐに勢いを取り戻し、群れて襲いかかってきた。

「冥土の土産など、何もない。用意をしてこなかったお前が悪い」

 歌うように呟いて、メルトは応戦した。



「嗚呼、また紅く染まってしまった。赤は嫌いな色なのに」

 洞窟に流れている水で身体を洗い流しながらメルトはそう言った。
 足下に転がっている肉片は元人間の物だ。だが、今はその原型を留めているものは殆ど無く。
 透明な水の流れに赤いインクが流れ落ちる。赤みがかった水が流れ落ちる。

「……なんて。似合わないわね、この台詞は」

 諦めたように笑って、その身にへばりついていた血液を落としたメルトは、先ほど自分が投げ捨てたコートを羽織り、帽子を被って洞窟を後にした。

 洞窟を抜けた先は歪な森で、禍々しい森だった。生い茂る木々の葉には禍々しい紫色が緑の中に点在している。
 昼でも暗く、住んでいる動物など殆ど居ない。年中不快な霧が立ちこめており、普通人間が訪れる場所ではない。ただ、その禍々しさが好きで住み着いている魔物も居り、ハンター達は偶にこの森を訪れる。
 メルトはこの森の雰囲気が好きではなかったが、視界不良のため追っ手を撒きやすく、追われたときはいつもこの場所に逃げ込んでいた。
 それでも見つかってしまうときは見つかってしまう。人数が多いと尚更見つかりやすくなり、戦わざるを得なくなる。
 今回は完全にこちらの不手際で見つかったような物だが、どちらにせよ、あの男達は考えが浅すぎたように思う。
 逃げてばかり居るとは言え、戦った相手は確実に殺されている。しかしギルドでは逃げられた報告と死人が出た報告しかない。メルトがどれほど強いのか、どのように戦うのかなどが全く報告されていないのは彼女が逃げ回る所為なのだが、男達はそれを勘違いしていたらしい。
 基本的に手配書には賞金と名前、見た目と前述の被害位しか書かれていない。だから誰がこの魔物によって殺されたのかが余りよく知られていない。
 迷子になった子供が殺されてる等という考えを巡らせる者も多い。簡単に倒せて賞金がたくさんもらえる……と、初心者のハンターは思うようだ。
 加えて、メルトは戦った相手の名前も容姿も興味が無く、すぐに記憶の片隅に追いやられてしまう。当然、相手が有名なハンターかどうかなどと言うこともメルトは知らない。

「はぁ。これでまた賞金上がっちゃうな。……でも、私に戦わせておいて逃げる臆病者を生かしておくのは癪だし。手加減して戦った方が良いのかなぁ。下手に手加減したら私を狙うハンターの数が増えそうだから嫌だなぁ」

 等と呟きながら歩いていると、誰かが後ろにいるのに気が付いた。
 見てみると、小さな人間の子供が一人。
 メルトのコートをつまんでいた。

「……え、子供?」


==============================



「それで? 名前はなんて言うの?」
「カズ」
「どこから来たの?」
「わかんない」
「ここがどこだか分かってる?」
「わかんない」
「………」

 駄目だこれ。と、メルトは思った。
 恐らく迷子なのだろうが、ここがどこなのかが分からないのはともかく、自分の住んでいる場所まで分からないとなると手の打ちようがない。
 質問の答えは大半が「わからない」。見た目からして普通の街にいる少年のようだが、街なんてそこかしこにあるのでどの街に行けばいいのか分からないし、そもそも指名手配されているメルトは街に近づくことが出来ない。
 そんな事を考えている内に、どうして自分はこんな人間の子供の世話をしないと行けないのだろうという気持ちになってきた。正直早く帰って読書がしたい。

「悪いけど、どこから来たのかさえ分からない迷子の相手なんてしてられないんだけど」
「…お姉ちゃんの意地悪」

 カズと名乗った少年はメルトを見つめてむくれる。それを見たメルトは大きくため息をついた。
 歳は10歳前後といった所。こんな風に楽しそうに笑う無邪気な子供を人間の大人は好むようだが、メルトにとっては鬱陶しいもの以外の何者でもなかった。

「意地悪って言ったってねぇ。というか、私が誰だか分かってるの? 分かってないでしょう? 魔物よ私」
「え?」

 少年はキョトンとした顔で少女を見た。
 不快な風が二人の髪を煽る。少年の短い茶髪が小さくなびく。

「ほらほら、魔物を目の前にしたら子供は逃げなさい」

 木に寄りかかりながら「早くどこかへ行け」という目線を少年に送る。少年は俯きながら小刻みに震えだした。それを恐怖の表れだと取ったメルトは少し安堵する。……が、しかし。

「………っげぇ」
「?」
「すっげぇ! お姉ちゃん魔物なの? 僕魔物初めて見た!!」

 目を輝かせてそう言うカズに、メルトはたじろいだ。そうしてやっぱり、駄目だこれ。と思った。
 そんなとき、葉がこすれる音が背後から聞こえた。

「メールトー、なーにしてるにゃー?」
「いっ!?」

 後ろから聞こえてきた自らを呼ぶ声を、メルトは悪い意味でよく知っていた。人間とほぼ同じ見た目でありながら猫のような耳と尾が生えている、天女にしてはがさつすぎる印象がある魔人を。

「ん? 男の子連れて何してるにゃ? 食べるのかにゃ?」
「あのねぇ。私はそんな事しないから。そもそも物を食べる必要もないから」
「相変わらず素っ気にゃいにゃあ」
「答えてあげただけマシだと思いなさい、馬鹿猫」

 ほぼ白と青のツートンカラーで出来上がっている猫娘を、面倒くさい物を見る目で見た。青い羽衣に白い服を身につけた青目の白猫は、木の枝に足を引っかけてぶら下がっている。
 Tシャツに巻きスカートとズボンを組み合わせて着ている、というのはどういったセンスなのかはよく分からないが、この猫魔人はいつもこんな格好をしている。ウィンドはよくメルトに銀色スライムの癖して茶色い見た目ってどんなセンスだと言うが、ウィンドの方がセンスが悪いだろうといつも思っている。

「何でメルトはウチの名前をちゃんと呼んでくれないのにゃ?」
「馬鹿猫は馬鹿猫でしょうが馬鹿猫」
「ウチにはウィンドっていう名前がちゃんとあるのに」
「良いから帰れ」
「やだにゃ」

 ウィンドは勢いを付けて木の枝から離れ、一回転半して地面に着地した。
 着地した後に自慢げな顔で二人を見る。

「うわぁ! ウィンドお姉ちゃんかっこいい!」

 カズには大好評のようだった。メルトは始終冷めた目で見つめているが。

「ふっふっふ、そうにゃろそうにゃろ。もっと褒めてもいいんだよ?」
「お姉ちゃんも魔物なの?」
「んー? お姉ちゃんはねぇ、神様にゃ」
「すっげー!!」

 メルトはそう自己紹介するウィンドにげんこつを喰らわせた。
 顔は笑顔だが目が笑ってなかった。
 ウィンドは何故だかいつもメルトに突っかかってくる。ウィンドは戦うのが大好きであり生き甲斐であると豪語しており、その言葉の通り会う度に戦いを要請される。メルトは度々断っているが彼女は諦める様子がない。

「あんたいつから神様に昇格したっけ?」
「……魔神様と人間のハーフです」

 言いただされたウィンドは完全にメルトから目を反らしている。ものすごく不機嫌な顔で。
 魔神は言うなれば魔物の成り上がりである。魔神となった魔物は神のように信仰を受けるが所詮は魔物だった。唯一神と言われる天界のボスには敵うはずもない。
 普通神様と言えば唯一神のことを指す。地上の生物はおろか、天界に住んでいる天使達でさえ会うことは難しい。

「まぁいいわ。あんただったら街に行けるでしょ?」
「え? 何がにゃ?」
「この子供を街に連れて行ってやんなさい」

 そう言ってメルトはカズを指さした。
 ウィンドは呆けた顔でメルトを見て、カズを見た後にもう一度メルトを見た。

「この子はメルトが誘拐してきたんじゃにゃいの?」
「誰がするか」
「にゃんだぁ。つまんないの」
「1回死んでこい」

 本当にウインドがつまらなそうに言ったので、メルトは割と本気でキレてやろうかと思った。ただ同時にここでキレたらいけないような気もしたので、止めておいた。
 森の不快さと相まって不快だったが、もう気にしたら負けだと割り切ることにする。
 メルトは足下の草を踏みにじった。くしゃり、と草が音を立てる。

「それで、どの街に行けばいいのん?」
「知らない」
「はぁ? 目的地が分からなかったら行きようがにゃいじゃない!」
「じゃあこの子から聞き出しなさいよ。まともな答えが返ってこないから」

 その言葉を受けて、ウィンドは先ほどメルトがしたような質問をカズに問い始めた。返答は相も変わらず分からないばかりである。
 いくつか質問を終えたウィンドは諦めたようにメルトを見た。

「こんなのウチに解決出来るはずがないにゃあ」
「聞き込みでもしてきなさいよ」
「なんでウチがそんな事しなきゃならないのー。メルトが行くべきにゃろ−」
「お前、私が指名手配されてるって知ってて言ってるのか」

 ウィンドを睨み付けながらそう言った。しかしウィンドは全く堪えることなく、大きく息を吐きながらにやけた顔を作り、

「しかしにゃあ。半人であるウチはともかく、魔物であるメルトがお子様の世話をするにゃんてにゃあ」

 と、白い手袋をはめた両手の指を絡ませながら笑う。

「仕方ないじゃない。この子供がなんか勝手に付いてきたんだもの」
「僕はカズだよお姉ちゃん」
「知ってる知ってる」

 めんどくさそうにため息をつきながらメルトは腕を組む。面倒で五月蠅い奴が二人になってしまっている今の状態は不快以外の何でもなかった。
 さらに言うと今居る森の空気も悪い。いつも逃げるときにしかこの森を訪れたことがない上に長い間滞在することもそうなかったため、不快感が募る。毒々しい色をした花を見ながら、メルトはもう一度ため息をついた。

「ついさっき人間を大量に殺してきた魔物の言う事じゃにゃいよにゃー」

 あっけらかんとした表情でウィンドは尻尾を軽く振った。

「……なんでその事知ってるのよ」
「メルトのことならウチ何でも知ってるんにゃ」
「きもっ!!」
「というか面倒くさがりの癖に面倒なことを自ら引き起こしてるって滑稽だにゃあ」
「うっさいわ」

 …と、ふと気が付いた。今、「人間を大量に殺してきた」というフレーズが少年の耳にも届いたはずだと。
 もしかしたらこれで自分を恐れて離れていってくれるかも、とメルトは期待の念を込めて少年を見た。カズは首を傾げながらメルトを観察している。

「お姉ちゃん人殺しなの?」
「まあ、魔物だしね」
「……へぇ……」
「……え」

 薄すぎる反応にメルトは唖然とした。

「? どうしたのお姉ちゃん。僕何か変なこと言ったかな?」
「いや、反応薄いなと思って」

 正直な所、「子供が死という概念を理解出来るのか」という不安は少なからずあったのだが、まさかここまで反応が薄いとは思って居なかった。普通、子供は死の意味を理解出来ていなくても「殺しはいけないこと」だとか、「殺しをした人間その他は怖くて危ない物だ」と教わる物ではないのかとかなりの疑問に思った。
 が、そんな事を考えていることなど少しも分かっていないカズは無邪気そのものだった。
 この反応でメルトはさらにこの少年の扱いに困る。これは何を言っても逃げられないんじゃないのだろうかと。追ってくるハンターなんかよりもよっぽど面倒なんじゃないかと。

「何、怖くないの?」
「魔物は人を殺すんでしょ? じゃあ普通じゃん」
「あんたも殺される可能性があると言う事なんだけど?」
「お姉ちゃんは僕にそんな事しないよー」

 あくまで自分は襲われないと自負する少年にメルトは少し苛ついた。
 魔物も知らないような無知なこの人間に、もう少し魔物の恐ろしさという物を教えてやらなければならない。

「どうしてそう言いきれるのかしら? 魔物は怖いのよ? 夜な夜な人を襲って食べている奴だって居るし、私だって人間には容赦しない性格だからね」

 それを聞いてもカズは表情一つ変えることがなかった。
 そして、口を開いたと思えば。

「だって僕は×××だもん」
「え、今なんて言った?」

 肝心な部分だけ聞き取ることの出来ない言葉を口にした。

「だから、僕は×××なんだよ」
「……猫、この子が何を言ったか聞き取れた?」
「全然。ウチら魔族には聞き取ることが出来ないのかもしれにゃいね」

 何度カズが同じ事を言っても、二人に聞き取れることはなかった。自分が何者か本人が暴露しているというのにそれが聞き取れないのはとても気味が悪い。
 それじゃあと少年に聞き取れなかった部分を文字で書いてくれるように頼んでみた。彼は落ちていた木の棒を拾い、地面に何かを書きだした。
 が。

「読めない。全く読めない」

 書かれた文字も、彼女たちには認識することの出来ない文字だった。
 魔族に認識出来ない文字など存在していたのかという驚きもあったが、それ以上に人間がそこまで高度な文字を生み出していたことに驚く。
 知らない文字だからとか、読むことの出来ない文字だから等の問題ではない。文字通り認識出来ないのだ。
 文字の形すら読み取ることが出来ないのにどうやって読めと言うのだろう。

「お姉ちゃん達分からないの?」
「わっかんないにゃあ…」
「しょうがないなぁ。じゃあ僕をお家まで連れて行ってよ」

 カズはそう言うが、どこから来たのか分からないとも言った。
 では、どうやって家を探せと言うのか。

「メルトォ、なんでウチらこんなに悩んでるの−?」
「私が聞きたい」
「もうこの子供シメて全て無かったことにした方がはやくにゃい?」
「そうね……」

 物騒な考えのように見えるが、魔物にとってその思考は特に変ではなく、むしろ子供を見つけたら即食料にする位に普通の思考なのだ。
 尤も、メルトは食事をしなくても良い身体だし、ウィンドに至っては半分人間な訳なのだが。

「やだなぁ、お姉ちゃん達顔が怖いよ?」
「これ以上私の手を煩わせないで頂戴」
「さっすが魔物だねお姉ちゃん。大人しくしてればいい?」

 楽しそうに笑うカズに対して、苛つきながらメルトは返す。

「もうさっさと帰れ」
「やっぱりお姉ちゃん意地悪だ。僕は自分のお家がどこにあるのか分からなくなってるのに」
「だから、家の場所が分からないんだったら手の打ちようが無いじゃない。もうこれ以上付き合ってられないわ」
「じゃあお礼にこれあげるから」

 カズが取り出したのは魔導書だった。真新しい、汚れ一つ無い魔導書。
 普段から本を読みあさっているメルトにとって、それは喉から手が出るほどに欲しい一品ではあるのだが、しかし。

「あんた、どこからそれを?」
「どこって…お家からだよ」
「魔導書がある家なんて一部の富豪の家位でしょう? どうしてそれをあんたみたいな平民が……」

 魔導書は魔法を習得するための奥義書であり、代々魔導士をやっている家系だとか、魔導書を集めている金持ち位しか持つことが出来ない。平民が持つなんて事、普通は出来ない。
 ならこの少年はそう言う家系の子供なのだろうか。そう考えるがどう見ても彼の身なりは普通の平民と何ら変わる物ではなかった。
 魔導士ならマジックアイテムを身体のどこかに身につけていなければならないし、富豪ならこんな小汚い服を着ていない。

「もういいや。あんたを殺してその魔導書だけもらっていくわ」

 吐き捨てるようにメルトは言った。
 カズはそれを聞くと怯えることもなく、逃げることもなく、ただ笑顔で。

「――――――」

 彼女には聞き取ることの出来ない言葉を再び発した。
 刹那、少年の持っている魔導書から強い衝撃波が生じ、メルトも、ウィンドも、周りの木々も全て吹き飛ばす。
 彼が魔除けの魔法を使ったのだと言う事を、メルトは吹っ飛ばされて数秒経った頃に理解した。

「お家に連れていってくれるよね? お姉ちゃん達」

 そう言う少年の顔は、やはり無邪気そのものだった。



==============================



「やっぱり見つかるはずがないわよこんなの」

 歪んだ森を向けて数時間、疲れ切った顔でメルトはそう漏らした。
 この際魔導書なんてどうでもよくなっていたのだが、逃げようとすると今度は魔寄せの魔法を使って引き込まれてしまう。同時に魔除けの魔法も使われると、ある一定の範囲にしか居ることが出来なくなり、ものすごく質が悪い。
 飛び道具や魔法すらこの結界の中には入ることが出来なかったので、もうどうしようもない。

「当てずっぽうで街を探し歩いてたって見つかるはずがにゃいって」

 ウィンドが言った。
 家探しに付き合わされてから今までに何件もの街に立ち寄ることになり、街に入ることが出来ないメルトはその間に逃げられると思ったが、今度は拘束魔法をかけられ動けなくされた。
 この少年がただ者ではない、というのは魔導書をみせられたときから思っていたが、魔導書の方も高い魔力と多彩な魔法が使えるようなので、どうでも良いとは思いつつ出来ることならやっぱり欲しかった。とはいえ、やはり家探しを手伝わさせるのは疲れるし面倒くさいしで最悪な気分だ。

「じゃあ逃げ出す方法でも考えてよ」
「無理」
「馬鹿猫が」
「あー、またウチのこと馬鹿猫って言うー」

 仲良く喧嘩をしながら二人は渋々少年に付いていく。
 カズが「お姉ちゃん達は仲良しだね」というと、メルトは露骨に嫌な顔をした。

「あ、ここら辺かも」
「やっと見つけた? 見つけたならさっさと帰って…」

 言いかけて気が付いた。
 自分たちが居るこの場所が、何もない平地だと言う事に。
 建物なんて見えない。どころか木一本生えていない。広がる草原、遠くで渦巻く蜃気楼。風に煽られてサワサワと草が立てる音が妙に耳に付いた。
 こんな場所あったっけ? と、メルトは思ったが、口には出さなかった。

「うん、ここまで来れば大丈夫。ありがとうお姉ちゃん達」

 言って、少年はまるでそこには何もいなかったかのように、消えた。草原に分厚い魔導書が落ちる。
 残された二人は怪訝そうな顔でお互い顔を見合わせた。もう、何もかもが意味不明だった。
 とりあえずと、メルトは落ちている魔導書を拾い上げた。タイトルを読もうとするが、やはり文字が認識出来ない。
 メルトは少しだけ考えてから、中身も開かずにその魔導書を「取り込んだ」。
 コートの袖から手を出し、自らの手をスライム状に変形させて本を包み込む。

「いつも思うけどグロテスクだよにゃ」
「うっさい馬鹿猫」

 メルトは取り込んだ魔導書の内容と魔力を全て吸収することが出来る。この力のおかげで魔法を苦労せずに取得することが出来るし、高い魔力も確保出来た。
 メルトはこの力を持っているから人間の間で指名手配されているのだが、本人はその事を知らない。

「それで? どんな感じにゃ」
「まっずい」
「……それはウチには分からない感覚だにゃ。…で、内容は?」
「はぁ。成る程ねぇ」
「何が?」
「天使が天使の役職に就くための試験だったらしいわ。騙したわねあの子供」

 天使は魔物と相反する種族であり、魔物を使役出来るかという試験に合格出来たか否かで役職が決まるという。
 試験は天使が子供の時に行われ、その結果で大人になったときの職が決まる。と言う物だ。
 ちなみに神に仕える天使はごく一部で、そのほかの天使は天界で人間のように街で暮らす。仕事は人間の物とは一部違うらしいが、働けば給料をもらうことが出来るのは変わらない。

「まぁ、確かにあの子は一度も自分の事を人間とは言ってなかったにゃあ」
「………」
「メルトの自滅だね」
「なんだろう、すごく悔しい」

 邪気がないのは天使の特徴か。後文字と一部の単語が認識出来なかったのも。人間の平民らしい見た目と天使には翼が生えているという固定観念で今まで彼が人間だと思い込んでいたが、そうか、天使は翼を隠せるのか。
 天使は魔物よりも高度な種族だと自負しているらしい。だから魔物を使役しようとする。
 使役した魔物に弱みを握られないようにするため、天使達は魔物には分からない言葉で会話したり、文字を書いたりする。
 理解出来ないのでなく認識出来ないのだから、魔物は一生かかってもその言葉の意味を理解することが出来ないのだ。
 また、天使は魔物よりも高度な存在だという見せしめのために、試験に使った魔導書を置いていく。
 読むことが出来ないのだから内容を理解することなど出来ず、即ち天使は魔物には出来ないことが出来るというアピールになる。
 試験の際にまんまと乗せられた魔物は、残された魔導書の解読をしようとして失敗するか諦めるかのどちらかである。

「しっかし悪い奴に魔導書が渡っちゃったわねー」
「あー、たしかににゃあ。メルトは文字とかそう言う概念はどうでも良いもんね」
「読めなくても理解することは出来るってね」

 自慢げにメルトは言ってみせる。
 沈みかけた太陽が蜃気楼の先を橙に染めていた。

「それで、あの子が使ってた魔法も使えるのかにゃ?」
「当たり前じゃない。あんたとは違うのよ」
「……ウチ、メルトのそう言うとこ嫌い」
「あっはっは、勝手に嫌いになりなさい。騒がしいのが一人いなくなる」
「意地悪スライム」
「それ褒め言葉だから」
「メルト、体重がまた増えたにゃ」
「それは言うな」

 帰りがけに「また来るね、お姉ちゃん」と言う声が聞こえてきた気がするが、メルトは幻聴だと自分に言い聞かせて無視した。

これは、どこかの国のどこかの場所でひっそりと暮らす魔物達の他愛のない物語である。

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