第四話

~4~

 少女は不幸な生まれであった。
 手足が無い、不自由な身体だった。

「サンギナリア、朝食の時間よ」

 母親はそう少女に言うと、手に持っていた器のものをスプーンに乗せ少女の口に運んだ。少女はそれを咀嚼し飲み込むだけ。
 まるでゴミを処理する機械のようね。サンギナリアは思う。
 着替えも、食事も、排泄も、風呂も全て、彼女は自分ですることが出来ない。できることと言えば、その目で見ることと、耳で聞くことと、話すことくらい。
 母親はまるで自分を大事なお人形さんとでも言うように扱う。動けないから。何もすることが出来ないのだから。
 サンギナリアはそれがとても嫌だった。
 父親も母親と同じ。いろいろな話もしてくれるし、外へ連れ出してもくれる。……でも、少女は不自由だった。だから願っていた。自由に動ける体になることを。ずっと。


 ある日、夜中に目が覚めた。窓から見えるのは星の輝く空の闇。嫌になるほど見慣れた部屋だけれど、なんだかいつもと違う気がした。空気は澄んでいた。なんだか良いことの前触れだとでも言うように、空間はいつもと違う雰囲気を放っていた。
 首を動かして、サンギナリアは窓の外をずっと、覗き見ていた。その様子はまるでサンタクロースを一目見てみようと期待に心を躍らせる子供のようだった。

「こんばんは」

 真横で声がした。父とも母とも違う声が。
 声のした方へゆっくりと顔を向けると、そこには一人の女性が立っていた。アシンメトリーな黒い服は服の機能を果たしているのか疑問に思うほどで、肌の露出が激しい。黒い翼と蝙蝠の羽を片側ずつ携え、金髪をポニーテールで纏めて、妖麗な紅い瞳でこちらを覗き込んでいる。
 それにしても彼女は一体どこから入ってきたのだろう。扉から入ってきたのであれば開閉する時に音がするだろうし、窓は先ほどまで自分がずっと眺めていた。軽く部屋を見渡してみるが、部屋にあるのは何の特徴もないクローゼットやタンスだけ。入って来られる余地なんてない。

「今日は星が綺麗ね。だからお姉さんもいつもよりハイテンション」

 しかし、そんな考えなどお構いなしとでも言うように、その女性は話し始める。

「そうですか」
「あら、元気がないわね。それともそれが何時も通り?」

 サンギナリアが黙り込んでいると、女性は少し不思議そうな顔をしてから「まあいっか」とつぶやき、続けた。

「私は、あなたの願いを叶えに来ました」
「え?」
「自由に動ける体が欲しい、ずっとそう願って来たのよね? 私が叶えてあげる」
「……どうしてそれを?」

 ずっと思ってはいても口に出したことなどなかったのに。と、驚くサンギナリアを見て女性は笑みを浮かべる。その仕草の一つ一つが大人びていた。

「私はね、人の夢がわかるの。だから、叶えてあげる」

 何が「だから」なのか。少女は見当がつかなかったが、それでも誰にも言うことも出来ず叶うわけもない願いを叶えてくれるという女性の言葉にときめきを感じざるを得なかった。
 ふふ、と。妖麗な笑い声を上げた女性は、どこからか一つ、植物の種のようなものを右手のひらの上に乗せてサンギナリアに見せた。

「これは何?」
「これはね、あなたの願いを叶えるモノよ。これを飲めばあなたは自由に動ける自由な体を手に入れることが出来るの」

 サンギナリアは不思議そうにその種を眺めた。見た目は普通の種の様だが、一体これを呑み込むとどうなるのだろう。期待とともに不安が頭をよぎった。
 女性はそんなことなどどうでもいいとでも言うように、笑みを崩さず続ける。星は変わらず光り輝き続けている。黒々とした空には薄らと紫がかかっている。空はまるで何も迷うことはない、と語りかけているように陰りの一つもない。

「これをどうするかはあなた自身が決めるのよ。さあ、どうする?」

 女性はそう告げた。

「私は……」

 サンギナリアがその後答えを告げるまでに、たっぷりと時間を要した。願いが叶うのは嬉しいことではあるだろう。だが、そんなに簡単に叶っていいのだろうか。それも、誰かも分からない者の助力で。
 心なしか、部屋がいつもより暗くなった気がした。

「自由な体が、欲しいです」

 彼女はそう答えた。それを聞くと、女性はにんまりと今までよりも嬉しそうな笑顔を作り、ゆっくりと手のひらにのせていた種をサンギナリアの口元へ運んだ。そして、吸い込まれるように開いた口へそれを落とし、呑み込まれるのを確認すると優しく少女の頬を撫でた。

「良い子ね」

 女性はそれだけ告げるとその手で少女の目を塞いだ。そして、少女が再び瞳に光を届けることが出来るようになった頃には女性は影も形もなくなっていた。
 いつの間にか、空には雲が現れ始めていた。


「お母さん、見て! 私、自由な身体を手に入れたの! もうお母さんの手を煩わせることはないわ。私一人で出来るの!」

 次の日のこと。サンギナリアが「身体」を動かし、自分の部屋を出た。自らの力であの部屋から出ることができた。それがサンギナリアは嬉しかった。満面の笑みで母親を見据えて、少女は凍り付いた。
 母親が自分を見る目が“娘”ではなく“化け物”であったから。
 サンギナリアの姿は人のそれではなかった。肌には根が張ったようなものが浮き出し、そこから先のなかった腕や足の付け根からは皮膚を突き破って蔦が無数に伸びているのだ。体内から伸びて出てきた蔦には血がべったりと付着しており、彼女が歩む度に赤い線がカーペットに引かれる。
 悲痛な叫びが響いた。テーブルから落ちたガラスのコップが無残に割れ、その破片を踏むのも構わず母親は後ずさりする。

「……お母さん?」
「ばっ化け物! 来ないで!」

 その叫びを聞いて、猟銃を持った男性が飛び込んできた。父親だ。

「私達の娘をどうした、言え!」

 銃口を少女に向け、男性は“娘”にそう放った。サンギナリアは理解ができないというように父親の顔を覗き見た。濁った眼で。

「娘は、私だよ?」
「嘘をつくな!」
「嘘じゃないよ?」
「嘘だっ!」

 一歩、一歩。サンギナリアが歩を進めるごとに父親は後ずさった。母親は部屋の隅で縮こまって震えている。場を読まない朝の陽ざしが窓の外で輝いている。部屋が異様に明るく、白く染まった。
 男性の背が部屋の壁に当たったころ、男性の目に殺気が籠る。カタカタと手を震わせながら銃を構える。

「お父さん」
「来るな……っ!」

 震えは止まらない。それでも、しっかりと銃口は目の前の少女へと向けられている。

「ねぇ」
「来るなぁああ!」

 銃声。硝煙の臭いが部屋を満たした。刹那、少女の口から鮮血が飛び出す。ぽっかりと空いた胸の穴からは壊れた蛇口のように液体がおぼれ落ちる。

「やだ、しにたく、ない」

 前のめりに倒れたサンギナリアが、小さくそんなことを口にした。とろり、と。体から血だまりが広がっていく。そのままいくらか時が流れた。煙を放つ銃口を震わせながら構えている父親も、部屋の隅で震えている母親も何もしない。
 時が止まったかのような感覚。広がっていく血だまりだけが部屋の中で動いていた。
 …………
 ……
 ズブリ。
 鈍い音が響いた。
 男性の喉に蔦が貫通していた。それを見て女性は声を上げる。血まみれの少女が、ゆっくりと身体を起こし、生気を失った目で、焦点の合わない目で空を仰いでいる。胸に穴の開いた状態で、蔦が体から伸び続ける。
 しゅるり、しゅるり。蔦が部屋を覆っていく。根を張り、広がり、覆われていく。女性が悲鳴を上げもがき続けても構わず覆い続ける。
 そして、覆ったモノすべてに根を張っていく。生気を奪うように、吸い続ける。

「あはは、はは、……ふふふ……」

 血まみれの少女が声を上げた。それは、まるで全てを諦め、投げ捨て、虚しさを埋めるような笑いだった。胸に空いた穴は植物が塞いでいく。
 喉に穴が開いた男性も、無数の蔦に覆われた女性も、生きていたころの面影が残らないほどに干からびている。少女はそれを数秒見つめてから、小さく「さよなら」と告げた。部屋を覆っていった蔦と自分の体を分断して、蔦に覆われた部屋を飛び出した。
 最後に残ったのは、血にまみれた廃墟だった。


「ブラッドロートさん一家が変死したらしい」
「本当かよ……。うちの近所じゃないか。犯人は捕まったのか?」
「いや、犯人は魔物で、あの家を襲った後町を出てったという噂だ」
「それはまたおかしな話だな。あの一家がその魔物に何かしたのか?」
「さぁ、な。俺には皆目見当つかん」

 そんな会話が聞こえてくる、とある小さな町のとある昼頃。
 二人の男性が話している横を桃色のドレスをまとった少女が一人、通り過ぎた。麦わら帽子を深くかぶり、顔は見えない。素肌を全く見せないような服装で、服装と背丈で少女だとわかる程度だ。彼女はセミロングの金髪を揺らしながら、小さく笑い声をあげて。

「あの一家は全滅したの。私ももう死んだの」

 と、誰に聞こえるわけでもなく言葉を空へ放った。
 少女は町を出る。未練など何もないとでも言うように、笑い声を上げながら。

「“お父様”、“お母様”。これからもずっと“わたくし”と一緒ですわ。ふふ、ふふふ……サンギナリアは生まれ変わったのです。もう、何もわたくしを阻むモノなんてありはしないのですわ」

 サンギナリアは歩んでいく。進む先に何があるのかも分からず、ただただ望んだ道がこの先にあると思い込みながら。
 人が魔物になる例は少なくない。そして人が魔物に成り果てるときは大抵、狂人と化した時なのだ。狂えば人は人でなくなる。少女が狂ったのは境遇の所為か、夢魔の所為か。それとも……

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