頂き物:ぴえろ様    

〜月の光に恋した愚か者〜

 ゆらり、と蝋燭の火が揺れた。
 灯りに照らし出された横顔は少女のもの。だが、それは知る人からすれば仮初めの姿である。
 月光を吸い込んだような銀色の髪に、どこか世を冷めたように見ていると思うような瞳。
 黒のワンピースにコート、それに帽子。一見どこにでもいそうな少女。
 だが、その本性を知る者は言う。彼女は魔物なのだ、と。


「……また、奇妙な来客が現れたものね」


 不意に、灯りに照らされた表情が歪む。眉は寄せられ、それが苦々しいものだと気付くには容易く。
 こつん、こつんと。足音が響く。そこに現れたのは一人の青年であった。ニコニコと、どこか邪気のない笑みを浮かべて。


「やぁ、初めまして。月光さん」
「その名で呼ばないで」


 苛立ちを隠さぬまま、“月光”と呼ばれた少女は告げる。今にも舌打ちが聞こえてきそうな声質だ。
 ぱたん、と少女の手に収まっていた本が閉じられる。蝋燭の火が風に揺らめき、相対する2人を照らし出す。


「何の用? 人間。……身なりからしてハンターって感じじゃなさそうだし。迷子とでも言うつもり?」
「いやいや。僕は君を探していたんだよ、月光……っと、この名で呼んじゃいけなかったんだよね。なんと呼べば良いかな?」
「……わざわざ私の名前なんか聞いてどうするつもり?」
「そうじゃないとお話が出来ないじゃないか」


 よいしょ、と。そう言って青年は腰を下ろした。彼へと視線を向ける少女の視線は、ただ険しい。


「……敵意がある訳じゃないし、アンタ、“持って”るでしょ?」
「おや、気付いたかな? 本の虫という噂は違っていなかったようだ。これのお陰で君と話せる訳だ」


 じろり、と少女は青年を睨み付ける。そう、この青年は隠そうともせずに見せつけているのだ。
 彼の懐から感じる“魔力”。極上、とは言わないが、そこそこ値打ちのつくだろう……“魔導書”。
 青年の噂に違わぬ、なんて言葉に反発したくはあるものの、本の虫である事は否定はしない。
 しかし、やはりわからない。この青年は一体何なんだろうか、と。少女の眉が更にきりり、とつり上がる。


「私の事を随分と知っているようね。それで、わざわざ魔導書まで持って私の前に現れた理由は何? 死にたいの?」
「死にたい……いや、そんな訳はないよ。僕には生きる目的がある。それを果たすまでは死ねないよ」


 ニコニコと、青年の笑みが崩れる事はない。正直、何を考えているのか読めはしない。
 さて、と。一息を吐くようにして男は少女へと視線を向け直す。


「えーと、結局、君はなんて呼べば良いのかな?」
「……メルト」


 メルト、と。少女、メルトが名乗った名前を反芻するように青年は呼ぶ。まるで捜し物を見つけたかのような子供のように微笑んで。


「じゃあ、メルト。さっきも言ったとおり、僕は君を捜していたんだ」
「わざわざ魔導書をぶら下げて? 自殺願望でもあるの?」
「一種の賭けだったけど、僕は賭けに勝ったようだ。君は人を殺しはするけど、別に好んで殺す訳じゃない。違うかい?」
「……なんでそう思った?」
「君が逃げるから。逃げ足が早い、とは噂には聞くけど、君によって殺された人間は数多い。でも、どいつもこいつもハンターさ。君を襲おうとして返り討ちにあった、って所が真実じゃないだろうか? 合ってる?」


 思わず、メルトは黙り込む。別に否定はしない。事実、その通りだからだ。
 メルトは戦う事に意味を見いだした事はない。ただ、生き残るため。自分にとって害を為す連中の駆除の為。
 その為に身に蓄えた力を使う事はあっても、それを好んで使おうと思った事なんて、やはり無くて。
 しかし、やはり癪だ、とメルトは思う。この人間は随分と自分の事を調べてきている、と。
 なのに、今までのハンターのように討伐をしよう、という訳でもなく、ただこうしてお喋りに興じている。


「私を捜してる、って、何のために?」
「君の事を知りたい、と言ったら酔狂だと思うかい?」
「そうね。気が狂ってるんじゃない? とは思うわね」


 わざわざ魔物に会いたがる、しかもそれが好奇心から来るものだなんて気が狂ってるとしか思えない。
 思えばさっきからニコニコと変わらない表情のままだ。ぞっ、と薄ら寒いものを感じた。やっぱり何を考えているかわからない。


「気が狂う、か。そうかもしれない。僕はもう、狂っているのかもしれない。それを確かめたくて君を捜していたんだ」
「……はぁ?」
「僕の質問に答えてくれれば、この魔導書は君に渡すし、このまま去ろう」
「……呆れた。ただ、それだけの為にここまで来たの?」
「僕にとっては重要な事なんだよ」


 はぁ、と。嘆息が1つ、メルトの口から零れた。僅かな黙考の後、彼女は答える。


「……で、質問って何?」


 タダで手に入る魔導書の誘惑には、勝てはしなかった。


「質問の前に、昔話を良いかな?」
「は?」
「――とあるスライムに、父親を殺された少年のお話さ」


 ひゅう、と。風が鳴くような音を立てて吹いていった。蝋燭の火が揺れ、消えかけた。世界は一度、ほんの僅かな時間、闇に沈んだ。

「別に、よくある話だ。ハンターとして生計を立てていた父親。そんな父親を支えていた母親。そんな父親が自慢だった少年」
「……へぇ」
「そんな父親が、帰ってこなかった。母親は嘆き、悲しんだ。少年も勿論、悲しんだ。悲しんで、悲しんで……どうしたと思う?」
「何がよ」
「少年がどうしたと思う?」
「興味ないわね」
「……ばっさりだなぁ。その少年はね、復讐を心に誓ったんだ。親も言った。アナタはお父さんの子なんだから、立派なハンターになりなさい、とね。母親は失った父親の面影を少年に求めた訳だ」


 語る、語る。淡々と、それは誰かの物語。……そして、それは実際にあったのだろう物語。


「少年は青年となり、ハンターを志した。仇の名前を一時も忘れないように、呪詛のように自らに刻みつけながら。……けど、ふとある時、噂を聞いたんだ」
「噂?」
「その仇は本を好む、と。特に力ある魔導書を好む、と。だから青年は考えた。魔導書があれば、罠にかけたり出来ないだろうか、なんてね」


 けど、と言葉を挟み、言葉を止める。


「……さて、昔話はここまで。その上で君に聞きたい事が幾つかあるんだ」
「……何よ」
「君は、本が好きかい?」
「……嫌いじゃないんじゃない?」
「そっか。じゃあ、人間を殺すのは楽しいかい?」
「戦いなんて面倒くさいだけよ」
「君は、平穏が好きか?」
「……本が静かに読めるなら、ね」


 そうか、と。
 噛みしめるような、そんな口調で青年は満足げに笑った。


「……約束だ、メルト。この魔導書は君のものだ」
「それがどれだけの価値を持つか、知らない訳じゃないでしょ?」
「あぁ。だからこそ置いて行く」
「あんな話を聞かされて、なんか罠でも仕掛けてるんじゃないか、とか疑うとか思わないの?」
「本にそんな事したら君は怒るだろう? そうしたら僕は死んでしまう」


 おどけたように肩を竦めて青年は言う。そして、懐から取り出した魔導書をメルトへと差し出す。
 暫しの沈黙の後、メルトは自らの上を変化させ、青年に差し出された魔導書だけを飲み込み、取り込む。
 ……罠はないようだ、と確認。改めて青年を見てみる。やっぱり満足げに微笑んでいるだけだ。


「……アンタ、変な奴ね」
「そうかもしれない。……ねぇ、メルト」
「何よ」
「また、魔導書を持ってきたら君は僕とお話をしてくれるかい?」
「……さぁね。気が向いたら、ね」
「わかった。君が気の向きそうなものが見つかったら、訪ねてみるよ」


 よっ、と。青年は声を上げて起き上がる。衣服についた汚れを払い取るように叩き、メルトへと背を向ける。
 メルトは、暫し青年の背を見ていたが、やがて興味を失ったように手元の本へと視線を戻す。
 青年は暫し歩んだところで振り返り、メルトが自分をまったく見ていない事に気付いて、苦笑する。


「また話せたら良いね。月の光のように美しい君」

 * * *


 
 それは、少年のお話。
 魔物に父親を殺された、復讐者だった少年の物語。
 だけど、一目見た魔物に心を奪われてしまった愚か者のお話。
 ……あぁ、いつか、問えるだろうか。


 “魔物に恋した人間なんて、愚かであろうか?”


 これは本の虫であるスライムの、あったかもしれない邂逅。

 

もどる。

 

inserted by FC2 system