第二話
〜2〜
「月光……魔導書……」

 荒廃し、十数年以上誰も使っていないようなボロボロの図書館。本が散乱しており、本棚も倒れている物がいくつか見受けられる。照明はなく、穴の開いた天井から差し込む光だけが中を照らしていた。使い古された本の匂い。それと共に何かが焼き焦げた匂いもする。足下の赤い絨毯は所々破けており、ほつれた毛糸が足に絡まってきて歩きにくい。
 そんな場所に、変わった衣装を着た少女が一人辺りを見渡しながら歩いていた。肌にはインディアンがするような模様がところどころにあり、服は縦に3分割されており、真ん中の布は藍色、そこ以外は白ともベージュとも言える色の、チャイナドレスのような服。チャイナドレスと言うには裾が短いような気もするが。明るい色とのコントラストを狙うように黒のスパッツを着用しており、白いニーズソックスと共に素足を隠すようにしている。

「恐らくここには居ないのですね…」

 獣のような耳と尾を生やしていたその少女は、そう呟いて図書館を去った。
 その物陰で、人知れず「見つからずに済んだか…」という声が聞こえてきたが、その事を少女は知らない。




「まーた見つからなかったのかにゃあ?」
「五月蠅いですね猫。貴方も私のターゲットであることをお忘れ無きよう」
「音狐ぉ? 音狐がねこって言うとウチのことか音狐のことか分からないにゃ」
「では、黙りなさいウィンド」

 先ほど図書館をうろついていた少女――音狐はそう言ってウィンドを睨み付けた。

「なんでウチの知り合いはウチのことを猫猫言うのかにゃあ?」
「それは貴方の姿が猫だからでしょう」
「ウチは猫じゃにゃいよ?」
「貴方の生みの親である風神様は猫の姿をしていたように思われますが」
「いや、魔神様はカマイタチなんだけど…」

 ここで言う神様というのには二つの区別があり、一つは天界に住む天界の最高権力者としての神と、魔物が神にも匹敵する力を手に入れた場合に呼ばれる魔神がある。基本は神様というと前述の神になるが。魔神は自分の得意とする分野でしか力を発揮出来ないが数は多く、神は一柱しかいないがあらゆる事をすることが出来る。
ちなみに、風神や雷神は魔神の枠に入る。

「あら、では貴方はカマイタチだったのですか」
「そもそも猫が風を操るなんて変にゃろー?」
「特に気にしてませんでした。……ところでウィンド?」
「何?」
「何故私の家に堂々と上がり込んだ挙げ句勝手に紅茶をすすっているのですか?」

 カントリーな家具で構成された質素な音狐の家で、ウィンドは椅子に座り紅茶を飲んでいた。
 音狐はウィンドとテーブルを挟んだ向かい側に座っており、紙の束を整理している。
 束に書かれているのはどれも音狐に宛てた依頼文であり、退治の依頼や捜し物の依頼など多種多様な依頼が書かれている。

「え? これはウチのために用意してくれたんじゃにゃいの?」
「これは私が依頼整理をする際に飲もうとして煎れた紅茶です。貴方の物ではありません」
「じゃあ返すにゃ」

 そう言ってウィンドは飲みかけの紅茶を音狐に寄越した。

「貴方の唾液入りの紅茶など飲みたくありません」
「つれにゃいにゃあ。メルトみたい」
「あれと一緒にするのも止めなさい。不愉快です」
「ウチから見たら口調が違うだけでメルトにそっくりだと……」
「殴りますよ?」
「はら」

 それから約一分ほど静寂が流れた。
 音狐は目を細め髪をいじりながら考え込むような仕草をする。
 その様子をウィンドはニヤニヤしながら眺めるのだった。

 討伐予定の魔物、メルト・ムーンライトという魔物は元は唯のスライムだった。
 何が原因かは知らないが、そのスライムは物を取り込んで吸収するという力を持っていた。突然変異でそうなったのか、元々スライムという種族にそのような力が備わっているのかは知らなかったし、興味もなかった。しかし、そのスライムは魔導書を取り込み続け、人型に化けるようになり、現在に至る。途中、一度封印されたらしいが事実かどうかは分からない。唯の噂である。
 知能もなく、本能だけで動くスライムが魔導書を取り込んだ謎についてはギルドの管理局の方で所説あるらしい。突然変異体のスライムの主食が魔導書だったとか、魔導書の魔力に惹かれてやり出したとか。どれも信憑性は薄く、後にウィンドが本人に聞いた所、「そんな昔のこと覚えてない」という、素っ気ない答えが返ってきた。
 本人から積極的に人を襲うことはないにせよ、被害者が出ていることは事実であり、実際腕の立つハンターなどが殺されているため危険度は高い。しかしながら、いくつか依頼をこなした初心者、中級者にはその危険度が把握できないらしく、よく返り討ちにされる。依頼を渡す管理局の人間にはやめた方が良いと言われているはずなのだが。慢心とは怖い物である。

「ふぅ……」
「どうしたのにゃん? もしかしてエッチなことでも考えてた?」
「貴方と一緒にしないで下さい。とても、不愉快です」

 束をまとめ終えた音狐は荒々しく席を立ち、部屋の扉へと歩いていった。

「案内しなさい」

 扉の前で立ち止まった音狐はウィンドの方を向き、言い放つ。

「にゃ?」
「メルト・ムーンライトの元へ私を連れて行きなさいと言っているのです」

 目を細めて音狐はウィンドを睨み付ける。
 目つきが悪い所もメルトとそっくり。……そう思ったがウィンドは口に出さずほくそ笑んでいた。
 それが音狐は気に入らなかったらしく、苛立たしく尾を振る。

「はぁいにゃ〜」

 楽しいことが起こると、ウィンドはとても楽しそうにそう返した。





 音狐がウィンドに案内されてメルトに会う途中のことである。

「よー、音狐。どうしたんだよ機嫌が悪そうな顔してんぞー」
「生まれつきこういう顔です」

 大きな角と羽と尾を携えた竜人が話しかけてきた。左目は札のようなものでふさがれており、左の角と左腕、左足には包帯が巻かれている。和服のような着物は肩から破けており、肩から先が丸出しになっている。
 町の中でこんなのがうろついていていいものかとウィンドは一瞬思ったが、自分も大して変わらないことに気が付き「まぁいいか」とつぶやいた。

「それで、この竜人は誰なのかにゃー?」
「竜人ではありません。龍神ですよ」
「もしかして音狐って同音異義語大好きだったりする?」
「別に」

 のけ者にされていると感じたのか、龍神はしかめっ面をしてウィンドに歩み寄ってきた。緑色の鱗が体の半分くらいは覆われてるんじゃないかというくらいに生えている。

「おまえは誰だよ。音狐と親しいみたいだけど」
「ウチ? ウチはウィンドっていうにゃ。そっちさんは誰かにゃー?」
「私? 私は天竜。火流天竜だ」

 自信満々に天竜は答えた。その様子を見て音狐はため息をつく。

「貴方は何をしているんです? 龍神……それも人間を裏切ったものがそうやすやすと町に入るものではないと思うのですが?」
「えー? 私は何もしてないぞ?」
「まぁ、貴方は何もしていないでしょうけど」

 そんな会話をウィンドは意味不明といった顔で聞いていた。





「で? なんで連れてきちゃうかなぁ」
「音狐相手だったら本気出してくれるかにゃーと思って」

 いつものようにやってきたウィンドだったが、今日は訳が違った。なぜなら今回はハンターを連れてきているのだから。
 そのハンター――狐――は不機嫌そうな顔でメルトをにらみつけている。

「月光の魔導書、メルト・ムーンライト。貴方を退治させてもらいます」
「嫌ね。絶対に嫌」

 そんな会話をしてお互いをにらみつけること数秒後、メルトは踵を返して逃げ出した。音狐は小さく声を漏らして後を追う。かび臭い図書館の中で埃が舞った。

「あーあ、まーたおんなじ結果かにゃあ」

 駆け回る二人を眺めながら、ウィンドは小さくため息をついた。

「というかなんであんた私を狙ってるのよ! あんただって魔族でしょうが!」
「貴方の様な魔物と一緒にしないでいただきたいですね」
「うっさい! 私から見たらあんたもウィンドと大差ないっての」

 その言葉が逆鱗に触れたのか、音狐は先ほどより素早く長槍を振り回し始めた。メルトは図書館の外に逃げ出し、また長い間追いかけっこが続いた。
 二人を追って外へ出たウィンドはやれやれとつぶやくと、小さな炎を作り出しメルトに投げつけた。
 体が金属製のスライムである彼女は火が大の苦手だった。

「うわ、何すんのよ馬鹿猫!」
「隙あり!」

 ウィンドの出した炎に飛びのいたメルト目掛けて音狐は長槍を突き出し、メルトはそれを真剣白羽鳥の要領で受け止めた。
 そこからしばらく静寂が続いた。

「もー、そろそろやめておいたほうがいいと思うんだがにゃあ」

 あきれたように二人を見ながら猫娘は静止をかけた。
 それでも二人は変わらず音狐の得物を握り締めたまま固まっているので、ウィンドはとりあえず音狐に殴りかかった。……結局あっさり受け止められるのだが。

「何をするんですか?」
「馬鹿猫よくやった! これで延期ね! もしくは中止ね! というか中止しろー」

 音狐は舌打ちをしてからメルトを一瞥し、槍を構えるのをやめた。

「まぁまぁ、メルトは自分から人間を殺しに行ってるわけじゃないから許してほしいにゃ」
「あ? なんで私がこいつに許しを乞わなきゃなんない訳?」
「どちらにせよ私は貴方を討伐対象としか見ていませんから。これ以上ややこしい事にするのはやめなさい」
「ほんっと五月蠅いわねぇ。これだからハンターは……」

 面倒くさそうにため息をつくメルトを音狐は再び睨み付け、やれやれと首を振った。空が夜を告げ、降り注ぐ暗闇の中で星達が煌めいている。
 ウィンドは羽織っている羽衣をたたみながら音狐を見つめにやりと笑った後、「今日はもう解散だにゃあ」と音狐の尾を掴み引いた。

「何するんですか、万年発情期」
「ウチ兎じゃないよ!?」
「……もう良いです。この馬鹿に免じて今日は許して上げましょう」
「誰もあんたなんかに許しを請いちゃいませんけどねー」

 口が減らないメルトに対してもう一度舌打ちをして、音狐はウィンドを振り払い去っていった。ウィンドはふむ、と声を漏らして払われた手を見、音狐の背中を見てほくそ笑みながらメルトの方を向いた。
 瓦礫が散乱した荒廃した図書館の前で佇む二つの影は交わることを知らない。

「良いからお前も帰れ」
「今日は泊まってくにゃ〜」
「……一発殴らせろ、馬鹿猫」

 今日も平和な一日だった、と。ウィンドはいつものように思った。

「やだにゃー」

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