第六話    

〜6〜

 廃図書館。スライムが多く生息している寂れた図書館。
 移動などで廃館となったわけではないらしく、その内部には図書館だったと分かる程の大量の本が散乱している。
 そんな、人がいるはずのない場所に人影が三つ。一つは銀色の金属の髪を持ち、一人は白いイタチの耳と尾を携え、もう一人は黒い翼を生やしている。それだけで彼女たちが人間ではないと分かるだろう。
 破けた絨毯を足で弄びながらと倒れた本棚に腰かけ本を読んでいる銀色の魔物、メルト・ムーンライトは顔をしかめる。

「何しに来たのよ猫……変な奴まで連れてきて」

 そう言われてニコニコとしているウィンド、その横には長い茶髪を二つに纏めた目つきの悪いメイド服姿の女性が立っている。メルトが睨みつけると、女性は睨み返すように目を細めた。

「初対面の相手に随分なご挨拶だな」
「不法侵入よ、あんた。そんな奴にいい顔するわけないっての」

 女性がじろりとウィンドの方を見たがウィンドは動じない。

「鍵もついてないのによく言うにゃあ」
「つけてあげましょうか。あんたの口に」
「やだにゃー」

 読んでいた本を閉じて、ウィンドに中てようと振り下ろしたのをウィンドにかわされ、小さく舌打ちをしてからメイド服の女性に再び視線を向けた。

「で、あんた何しに来たの」

 聞かれて、女性は火のついていない煙草をプラプラと唇で上下させながら、少しだけ考える時間を取ってから答えた。

「……坊を探してるんだが」
「坊? 誰よ、知らないわよ。そんな事の為に来たわけ?」
「坊と関わったことのある魔物なら何か知ってると思ったんだが、いや、知らないならいいんだ。……たくっ、勝手に逃げやがって」
「……は?」

 訝し気に聞き返すメルトを、面白そうにウィンドが眺めている。それに気が付いたメルトがウィンドにつかみかかるまで時間はかからなかった。

「笑ってんじゃないわよ? クソ猫」
「あっはっはっは! いやぁ、ウチもびっくりしたんにゃよ? まさか……」
「これ以上言うんじゃないわよ。殴るわよ?」
「こわいこと言うにゃあ」

 戯れている二人を制すように、メイドは一つ咳払いをした。

「別に隠してるわけじゃないんだ。変に言いよどむ必要ねぇだろ」
「私が聞きたくないだけよ」
「そうか。残念だが諦めろ、耳塞いだって事実は変わんねーよ」

 呆れたように言うメイドを、メルトはむしゃくしゃした様子で睨みつける。

挿絵


「私、あんた苦手だわ」
「……気分を害したことには謝る。だがどうせ大して関わらない仲だ、気にするな」
「だといいんだけど……ね」

 メルトは館内に住み着いているスライムの一匹をつついて遊んでいたウィンドを無言ではたいた後、メイドの携えている黒い翼を弄ぶ。

「あんた、堕天使よね。堕天使が天使の御守り?」

 堕天使。その名の通り堕天した天使の事である。堕天する経緯はさまざまであるが、天界を追放され地上へと堕ちた天使は堕天使となり、時が経つにつれて悪魔となる。一度天界にいることを禁止された天使は二度と天界に戻ることはできないとされている。……のだが。

「……まあ、普通の反応か。特に面白くもない経緯があるだけだ」
「あっそ」

 面倒そうに溜息をつき、追い返すようにしっしと手を振り、えーっと声を上げるウィンドを本で小突いた。

「煩い。私は手伝ったりしないからね。あんな奴の御守りなんてもうこりごりだわ」
「ちぇー。面白そうだったのににゃあ。……何か報酬とかあっても駄目ー?」
「絶対に嫌」
「ケチ。いいじゃんちょっとくらい。にゃー、フェルー」

 頬を膨らませながらメイドに同意を求めようとするウィンド。それをメイドは冷たくあしらって小さく首を振る。

「やる気のない奴を無理矢理働かせても非効率になるだけだろ」
「冷たいにゃあ……」
「感情論で右往左往するほど暇じゃないだけだ」

 邪魔したなと一言告げてから長い茶髪を翻して、フェルと呼ばれた女性は図書館から出ていこうとする。ウィンドがぱたぱたとその後を追いかけ、一瞬だけメルトの方を見て手を振るのをスライム少女は心底機嫌が悪そうな顔で見送った。

「何だったのよあいつら……」
「もう行った?」
「行ったいっ……ん?」

 聞き覚えのある声に不安を覚えながらメルトが振り返ると、本棚の端から茶髪の少年がひょっこりと顔を出した。以前出会った時のような街の子供の服装ではなく、天使を彷彿とさせる白のローブ姿で。

「あんた……いつからここに……」
「結構前からいたよー」
「…………」

 冷めた目で現れた天使――カズを見ているメルトを気に留めるそぶりも見せず、にこにこと以前と変わらない様子で微笑んでいる。
 軽い足取りで倒れた本棚に腰かけて、傍に落ちていた本を手に取って開く。

「せっかくフェルに休暇を上げようと思って姿隠してるのに、探しに来ちゃうなんて本当に生真面目だよね」
「どうでもいいけど私のところに来るのやめてくれる?」
「なんで?」
「面倒。うざい。帰れ」
「メルトお姉ちゃんは変わらないねー。僕、お姉ちゃんのそういうところ嫌いじゃないよ」

 深くため息をついた後、勢いよく振り下ろした手刀を難なく避けられて不愉快さを隠さず舌打ちする。そんなメルトをカズは楽しそうに眺める。そして、薄暗い図書館の中を照らすように隠していた翼を広げ、小さくはためかせた。一枚抜け落ちた羽を拾い上げ、少しだけ光るそれをメルトの眼前で振った。

「あんた、露骨に天使をアピールしてくるわね」
「うん。もう隠す必要ないもん」
「あぁ……そう……」

 図書館の中を羽で照らしながら、ここは暗いねと言うカズに対して面倒くさそうに余計なお世話よと返すメルト。その後は暫く互いに蔵書を各人で読むだけの時間が流れた。
 外界からの光が差し込まないこの場所では時間がわからない。時間に縛られないメルトはともかく、他の者にとってこの場所は置いてある書物以外の利点は対してないだろう。

「そうだ、お姉ちゃん」
「何よ」
「悪魔って知ってる?」
「……悪魔? あんたのメイドっぽいあいつの事言ってるの?」
「違うよ。フェルは堕天使ではあるけど悪魔じゃないから」

 読んでいる本から目を離さずカズは続ける。薄暗い館内で淡く光る羽で文字を照らしながら頁をめくった。メルトは足元にうろついているスライムを足で小突きながらつまらなそうに読書を続ける。
 下界に落とされた天使は堕天使となり、暫くすると悪魔へと成る。堕天使とは悪魔に変わるまでの途中経過であり、普通はあの状態のまま定着する者はいない。カズのメイドである堕天使――フェルは堕天使の状態で定着した稀な存在だが、その経緯もまた特殊らしい……とカズが特別感のない言い方で語る。語り終えたところで再び悪魔について聞いてきた。

「知ってはいるけど、実際にはそう遭わないわよ、悪魔なんて」
「そうなんだ。僕も会った事はないんだけど」
「じゃあ何で聞くのよ。それで終わりだったらはっ倒すわよクソ天使」
「やだなぁ。顔が怖いよ? お姉ちゃん、笑顔笑顔」
「今のどこに笑顔になる要素があるってのよ」

 メルトの方を向いて眩しい笑顔をしているカズを一瞥して読書を続けるが、それも気に留めずカズが口を開く。

「本当はフェルにここに行くことを気が付かれずに撒いて来たかったんだけどね」
「…………」
「んー、ウィンドお姉ちゃんに言ってもよかったけど」
「……前置きが長い。言うならさっさと本題に行ってくれない? 本当にはっ倒すわよ」
「短気だね」

 再び手刀を振り下ろすメルトに対して、今度は何か呪文のようなものを唱えるカズ。唱え終わったところでメルトの動きがまるで蛇に睨まれた蛙のように止まる。
 歯ぎしりをして睨み付けて来るメルトから数歩離れて二、三手を振ると硬直が解けて手刀が空しく空振りする。

「お姉ちゃんには無理だよ。分かってたでしょ?」
「ぐ……」

 カズは誇らしげに自分の胸に手を当てる。

「下界の生き物には僕たちの詠唱は分からないからね」
「内容を理解したのに……それでも敵わないって訳。本当に性格の悪い種族ね、あんたたち」
「内容、理解できたの? すごい、初めて聞いたよ。やっぱりお姉ちゃんはただものじゃなかったね、流石」
「全く褒められてる気がしないわ」

 あはは、と笑いながらカズはメルトの口元に指を当てようとしてメルトに払われる。払われた手をまじまじと見つめてから肩をすくめて先ほどまで持っていた本を脇に置いた。

「それはそれとして、うん、話を戻すんだけどさ」
「あんたってマイペースって言うか……人の話を聞かないわよね」
「お姉ちゃんには言われたくないかなぁ」
「……うっさいクソ天使」

 頁をめくりつつ、聞いてるのか聞いてないのか視線を本から逸らさずにいるメルトに向かってカズが本題に入ろうとした時、図書館の入り口の方から物音が立った。

「あれ、帰ってきちゃったかな」
「はぁ……さっさと帰りなさいよね」
「タイムリミットってことだし、仕方ないね。……うーん、そうだ、これだけ教えておくね」
「何」
「次の満月の日から暫く面白いことになると思うよ」

 そう言い終えた直後、ウィンドとフェルが奥から姿を見せた。火のついていない煙草を二本指で挟んでぷらぷらと左右に振りながら、明らかに怒った様子のフェルがカズの元に歩み寄って来る。
 手の甲をカズの額に振り下ろし、やれやれと言った様子で方眉をひそめた。

「勝手にいなくなりやがって……もう日が暮れるぞ、坊。早く帰らないと父様に怒られる」
「あれ、そっか。もうそんな時間なんだ」
「そうだよ。俺が何時間坊を探してたと思ってるんだ。こっちに降りて来るだけでも冷や汗物なのに……」
「ごめんごめん。下界の方が楽しいからついねー」
「はぁ……坊はもう少し自覚をだな……」

 そんなやり取りをしながら、天使と堕天使は歩み去って行く。
 残ったメルトの傍に尻尾をふりながら腰かけたウィンドが、カズの読んでいた本を拾い上げ開き始めた。タイトルを見てみると、そこには『誕生と世界』と書かれていた。

「読んでいいかにゃー?」
「好きにすれば」
「おぉ、メルトがちょっとだけ優しいにゃ」
「黙れ、うるさい、静かにしろ」
「あ、いつも通りだにゃ」

 頁をめくる音が響く。小一時間経ってあくびをしながらウィンドが本を閉じた。暇を持て余したように足を交互に振り、徘徊しているスライムを弄んだりして遊び始める。その様子に苛立ったメルトが閉じた本の背表紙でウィンドの頭を殴りつけた。

「痛いにゃー! 何するんにゃメルトぉ!」
「そんなでかい耳して何も聞いてなかったのかしら」
「聞いてたにゃ。だから静かに遊んでたのににゃあ。……所でメルト、カズと何か話したのかにゃ?」
「別に。悪魔がどうとか満月がどうとか言ってただけよ」
「んー? 満月……悪魔……なんかよくわからんにゃあ。……んー、でも、音狐もなんか満月がどうとか言ってたしなんかあるのかもしれないにゃー……」

 推測するウィンドを鬱陶しいと言った目で眺めたメルトが地面に居るスライムを一匹掴んでウィンドに投げつけた。頭からスライムを被ったウィンドがにゃあにゃあと鳴きながらジタバタしている。それをメルトが後ろから蹴り上げると数メートル転がってからまとわりついていたスライムを取り払い、口をとがらせて悪態をついた。
 光が差し込まないため室内に少数居る光る体色のスライムやいくつか灯っている蝋燭の火だけが光源となっていて薄暗い。時間は見た目からは分からないが、恐らくすでに日は落ちている事だろう。

「全くひどいにゃあ……。まあ、メルトがそういう性格なのは知ってたけど……」
「はいはい、それなら帰れ、さあ帰れ、すぐ帰れ」
「もぅ、わかったからぁー」

 しぶしぶ帰って行くウィンドを見ながらメルトはため息を一つついた。何もない天井を見つめながら、物憂げな顔で小さく呟く。

「満月か……」

 ゆっくりと図書館から出て行き、空を見上げて囁くように名前を呼んだ。

「……天龍……」

 きらめく星の中で輝く月は半月だった。雲はひとつもなく、沈み切った日の光を返して光を放ち続ける。今までと何ら変わりのない空のようだが、何かあるのかもしれない。
 ……などと、そんなことを考えているのかいないのか、メルトは暫くの間空を眺め続けていた。

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