第五話    

〜5〜

「墓場に現れる亡霊、ですか」
「この街のはずれに大きな墓地があるだろう?そこで動く死体を見たという報告が多発しているようなんだ。なぜあんた達のギルドでなく、アタシらのギルドに報告が来たかはわからないけどね。まあどうせ手違いで送られてきただけだろうけども」
「それで、なぜケントリムギルドへではなく直接私のところへ持ってきたのです」
「霊的なものに関してなら、ここのギルド内であんたが一番やり手だと思ったから。それじゃあいけないかい?」
「はぁ……そうですか。分かりました、受けましょう」

 ケントリム城街のとある一軒家で、三人のハンターが会話を交わしていた。一人は猫のような耳と尾を携えた白い娘。一人は狐の耳と尾を持った淡い茶髪の娘。もう一人は長い茶髪を三つ編みにした他二人に比べて筋肉質な体つきの女性だ。
 丸いテーブルに全員が向き合うようにして座り、テーブルには紙の束とポットとカップがそれぞれ置かれている。カップにはアールグレイの紅茶が注がれており、心地のいい香りが辺りを満たしている。
 依頼を受けると告げた娘は、深くため息をつきながら自分のカップに注がれている紅茶を飲み干し、ゆっくりとカップをソーサーへ置き、テーブルの中央に置かれているポットに手を伸ばす。
 ポットに入れてある紅茶をカップに注ぎながら、狐の娘は口を開いた。

「……報酬は?」
「もちろん、依頼を受けるのなら元々この依頼に書かれていた報酬はあんたのものだし、個別にあんたに依頼したアタシからも報酬を送らせてもらう」
「へぇ。そこまでするからには何かあるんでしょう、ね」

 それを聞いて、女性がやれやれと呟く。

「相変わらず、疑り深いねぇ」
「貴方達が単細胞なだけだと思いますが」

 白い尾をゆっくりと揺らしながら、猫娘は小さく欠伸をした後、部屋の片隅にあるベッドからこちらを覗き見ている黒髪の女性に視線を向けた。
 眼鏡をかけているその女性は一瞬はっとした表情を見せた後、自分に何か用があるのか、と聞くように首を傾げた。

「にゃはは、にゃんでもないよ」
 と、猫娘は笑みを返して横で話している二人に視線を戻した。



 ……ここで話は一度遡る。
 その日の朝のこと。狐の娘――尾崎音狐は自分の家に住まわせているとある居候のもとへ食事を運んでいた。石造りの部屋の、木製の扉が軋んだ音を立てながら開く。

「如何ですか、具合は」

 音狐はカチャカチャと、陶器が当たる音を立てながら部屋の奥へと足を運んだ。
 部屋の中央には小さな丸いテーブルとそれを囲むように設置されている3脚の椅子が置かれており、奥にはシングルベッドが置かれている。
 元々客間としてレイアウトした部屋だったのである意味予定通りの部屋の使い方ではあるのだが、しかし。

「特に変わりはないです。……ありがとうございます、いつもいつも」

 まさか自分が出張依頼で向かった町が壊滅状態になり、その生き残りを自らが引き取る形になるとはとんだ誤算だった。と、音狐は溜息をつく。
 黒髪の女性――宮家佐織は小さく礼をすると、運ばれてきた食事がテーブルに置かれるのを見つめていた。身体中ガーゼや包帯で手当てがされており、左腕はギブスがはめてある。
 生き残りと言えど怪我が少なかった、というわけではなく、幸か不幸か崩れた建物の中に生き埋めになっており、町を襲った魔物に気が付かれずに済んでいただけのことだった。後数時間か救出が送れていたら命はなかったであろう。
 とはいえ、救出されてから今日でもう一か月が経とうとしている。小さな傷は治ったし、歩くこともできるようになった。音狐がテーブルの方へ来るように促すと、佐織はゆっくりとベッドを降り、椅子に腰かける。
 食事をしながら、大体いつもこんな会話をする。

「……あの魔物、今日もどこかで暴れているんでしょうか」
「それは分かりませんが、少なくとも見た目も名前も能力も明らかになったのです。情報が広まれば被害は拡大に少なくなるはずですよ」
「そう、ですね」

 内容は差があれど、話すのはあの白い魔物のことばかりだ。たった一か月ではあの時の光景とショックは忘れられないのだろう。
 白い魔物。その名前だけは以前からギルド内に広まっていた。
 名前はフレイン・サンライズ。名称以外は不明の謎の魔物で、元々とある村の女性が依頼書を持ってやって来たのが始まりだった。
 息子が魔物を匿っているらしいから何とかならないだろうか。という旨の依頼だ。匿われているので姿は見たことがないが、息子はそれが魔物だとわかっていてずっと世話をしていたというのだ。
 世も末だ。と泣き出す女性を依頼を受け取ったハンターが慰めた、という話まで残っている。……が、その後女性と共に村へ向かったそのハンターはそれ以降安否の確認が取れなくなった。おそらく殺されたのだろう。
 村に向かったハンターが大変なことになったと報告を受けた同じギルドのメンバーが村に向かったところ、そこには焼野原しか残っていなかったという。報告にあった魔物の仕業だという事は誰もが分かっていたが、その魔物の容姿などは結局、分からずじまいであった。
 それが、今回の件で容姿などを目撃した生存者が出てきたことによって、幾分か謎に包まれていた部分が明るみに出たことは喜ばしいことととらえてもいいのかもしれない。
 とはいえ、その魔物はいまだに各地を荒らしまわっているであろうし、この魔物の危険性が全ての人間にいきわたったわけでもない。ということは、現状はあまり好転していないともとれる。
 ある種、どうしようもないと頭を悩ませることを放棄する内容だったものが、明るみに出たことで目を向けざるをえなくなったともいえる。有り体に言えば悩みの種が増えたわけだ。
 と、ここまで考えて音狐は顔をしかめた。理由は大したことではない。自宅の呼び鈴が音を立てただけのことだ。

「食事、終わりましたか?」
「あ、はい……お客さんでしょうか」
「ええ。ここに通すので、ベッドに戻っていただいても?」

 言われて、佐織は素直にベッドに戻った。それを見届けてから音狐は食器をもって部屋から出ていく。おそらくその後客を迎えに行くのだろう。
 それからしばらくして、音狐に連れられて客人が部屋へ招かれた。白いその猫娘の姿を見て、小さく「私は白い魔物に縁があるのかな」とベッドに横になりつつ呟く。西洋にわたってきたことは間違いじゃないとは思うが、あの体験は少し、重いかな。そう考えながら。

「邪魔するよ……と。そういえば」

 茶髪の女性が佐織に気が付くと、彼女に向き直り、姿勢を正して微笑んだ。

「初めまして。アタシはオリエンスギルド所属のハンター、名前はジョワイユー・トネール。……アンタのことは音狐から聞いてるよ。今はできるだけあの情報を広められるよう色々と手回しをしている。安心しろとは間違っても言えないが、まあ、そこまで深く心配しなくてもいい」
「……えっと……ありがとう、ございます。あ、私は……」
「名前はもう聞いてる。サオリ、だったよね。音狐と同じ東洋の出身だとも」
「はい、音狐さんが私の住んでいたところの出身だというのには驚きましたけど。……いえ、私のところも大昔はそのような信仰がありましたから、知識にはあったんですが」
「アタシは東洋のことはよく知らないから分からないけど、向こうでは色々あるらしいね。とはいえ、よろしく頼むよ」

 そう告げると、ジョワイユーはテーブルに添えられている椅子の一つに腰かけた。





「それで? 亡霊というのは」
「ああ、白い亡霊だと目撃者から通達がある。真っ白な長い髪の少女のような容姿らしい」

 “真っ白な長い髪”と聞いて、佐織は一瞬はっとした表情を女性に向けた。視線に気が付いた彼女はあぁ、と声を漏らしながら首を横に振る。

「例の魔物とは違うよ。恐らくと頭には付くだろうけどね。今まで目撃者がいなかったあの魔物に、この短時間で何度も目撃情報が寄せられ依頼されるなんて都合のいいことはないだろうからさ」

 だから、別件だよ。とジョワイユーはハンター二人のほうに視線を戻す。
 音狐はしばらく手渡された依頼書を眺め、それをテーブルの上に置くと紅茶を一口飲んだ。陶器が小気味いい音を立てて元の場所に戻される。

「ケントリムの巨大墓地に現れるというんだ。あれだけの広い墓地なら何かしらあってもおかしくないだろう」
「城下町のはずれの墓地ですからね。歴史的には戦争や贄の記録も残っています」
「アタシからは紅茶のセットでも贈るよ。見たところそれほど危険なものでもなさそうだからこのくらいでいいだろう?」
「まあ、いいでしょう。受けると言ったからにはやらせて頂きますよ」

 しばらくその件や互いのギルドでの情報交換を行って、来訪者は席を立った。それを見送った後、音狐は依頼書をもう一度眺め、槍を手に取り外へ繰り出した。
 残された佐織は、ため息のように小さく息を吐くとそのまま丸まるように毛布を被った。
 空には、青空がまぶしいくらいに日の光を浴びて輝いていた。





 ……ケントリム城街のはずれに、その町に住んでいた人すべてが埋葬される墓地があった。巨大墓地を銘打つだけあってその広さはこの西洋の地でも1,2を争う大きさだ。城下町とほぼ同等の面積を誇り、その歴史も長い。様々な形の墓石が規則正しく並べられており、当然墓参りに来るもの以外の生者はほぼ訪れることがない。墓という場所自体に死を連想するものも少なくないが、ここはそう思わないものでも少し、気分が暗くなるという。
 繁栄している町のすぐそばにこのような場所があるのはいかがなものかと思われることも少なくない。しかし、繁栄の代償はつきものだと、この場所は語るように遠い昔の時代からこの墓地は存在しているのだ。
 代々受け継がれていく王族の町のすぐそばに。

 日が真上を通り過ぎ、昼に差し掛かった頃。音狐はその墓地に足を踏み入れていた。土を踏みしめ、小石を蹴り飛ばし、あたりをきょろきょろと確認しながら墓地を進んでいく。
 真昼のためか、ぽつぽつと墓参りに訪れている者が目に付く。その中に白い少女はいない。これといった異常も見当たらない。墓参りに来ている一人に話しかけてみるが、これと言った情報を耳に入れることは叶わなかった。
 そのまま手探りで調査を続けているうちに、日は少しずつ傾き始めていた。広い墓地だ。見通しは良い方であるにしてもその中から一人の人物を見つけるなんてことは簡単ではない。さらに言えば、本当にいるかどうかもわからない不確定な情報しかない状態で、そうやすやすと事が進むはずはなかった。

「亡霊が、昼間に出るなどと思ったのがそもそもの間違いでしたかね」

 音狐は十字の墓石が立ち並ぶ中でやれやれ、とでも言いたげに肩をすくめる。
 亡霊だ、動く屍だ……などというのは総じて月の光を浴びることで活動を開始する。魔物と言われるモノの大半は月から放たれる魔力を活動源とするが、それ以外にも自身で魔力を生み出し月が出ていない間の魔力を補ったり、月からの魔力を溜め込み日中も活動している魔物もいる。
 その中でもとりわけ自己生産力や蓄える能力に欠ける亡霊やゾンビといった所謂アンデットたちは、日中は動かず、月の出ている時間だけ活動するというものが殆どなのだ。
 木に寄り掛かり、見張りでもするように墓地を眺める。人はすでにおらず、動いているのは一人だけ。風が木の葉をかき鳴らす音を耳にしながら時を過ごした。そうして、そろそろ日が暮れる。そんな空模様になった頃、音狐は再び目標の捜索に当たった。
 茜色の空が段々と黒に浸食されていく。黄金の光が日に代わり地を照らし始めたのを感じて、狐の娘は少しだけ目を細めた。

「良い夜ですね」

 独り言のように呟めいたその言葉に答えるようにして吐息が聞こえ、無表情にそちらを向いた。

「ご苦労様。私に会いに来たのだろう?」

 白い亡霊がそこにいた。立っていても地に届きそうな長さの白い髪、そしてその白に相反するように紅い、蛇のような眼。顔や体のいたるところの皮膚がはげ落ち赤い肉が見えている。血は出ていない。誰が見ても動くその姿を見ればアンデットの類だとわかる容姿をしていた。
 それ以上に目の前の“ソレ”が生者ではないとわかるのは、その身に、胸より下の身体が存在していないことだろう。腕も二の腕からねじ切られたようにしてボロボロの断面がのぞかせているだけで、その先がない。こんな体で生きていられるはずがないのだから、まぎれもなく目の前にいるのは目標の亡霊である、と音狐は表情も変えず思考する。

「しかし、本当に良い月見日和だな。狐の娘よ。……本当は姿を見せる気などなかったのだが、興が乗ってしまったよ」
「そうですか、それは良かったです」

 味気のない反応に、亡霊は喉を鳴らすようにして笑い声をあげる。上半身だけのその身体が、ふわりと立ち上がるように浮き上がった。
 地面に垂らしているその髪の一部を、ゆらりと風に反抗するように揺らす。突きつけられた長槍の先端をしげしげと見つめながら、馬鹿にするように口を開く。

「人間様からの差し金かい?」
「そうだとして、それが何なのです。私がこの得物に少し力を入れれば、貴方は土に還るだけなのですが?」

 白銀の髪が数束、長槍に巻き付く。それを見かねた音狐が小さく何かを呟くと、槍にまとわりつくように朱色の炎が現れ、巻き付いた髪を焼かんとする。
 飛びのくように髪を槍から離し、白い少女はふわりと数歩分距離を取った。

「突然危ないことをするな。生者のように生え変わることがないんだぞ? 髪は大事なんだ、女心も分からんか」
「そうですか。興味ありません」
「クカッ、そうかそうか……人に媚びを売る事しか能のないお前には難しい問題だったか」
「…………」

 あからさまに顔をしかめる音狐を眼中に収めると満足そうに息をつく。束ねた髪を手の様な形にして、その指に当たるであろう部位を眼前の狐に向けた。

「図星か? 愚かなものだ。私のような存在を生み出した原因だというのに、それも忘れてただ恐れる気楽な連中にいいように使われているなんて」
「いえ、あまりにも愚問だったものですから」
「ふぅん?」
「私のような人間の信仰で成り立つモノが人間の役に立つことで信仰を得るのは当然の事ですから。周りの魔物と同等に見ないで頂きたいですね」

 つい。と、刃先に炎を灯しながら槍を再び亡霊に向ける。

「貴方を生み出したのは人間だと言いましたね」
「ああ。言った」

 一、二度槍を振ると、灯した炎が消える。その様子を見て、相手は意外そうに声を漏らした。
 その反応を無視するように狐は空を仰ぎ、上空に見える半月に手をかざす。開いた指の間から差し込む光を見つめ、月を掴もうとするように軽く手を握り、その手を下してから、再び白い亡霊に目を向けた。

「……昔、ここで生贄にでもなりましたか?」
「なんだ、知っているのか」
「仕事柄、この街の歴史は一通り確認していますから」

 それで? と、首を傾げ亡霊は続ける。

「このまま私を殺すか? いや、もう死んでいるから浄化と言った方が正しいかな」
「つまらない洒落ですね」
「別に笑わせるつもりで言ったわけではない。そもそも、お前は表情筋が凝り固まってそうだ」
「否定はしません」

 月明かりに照らされながらも、夜の墓地はそれでも暗く。しかし、それもまるで関係ないというように向かい合った二人は月光を浴び続ける。

「報告に、貴方が人を襲ったという報告はまるでない……ですが、このまま見逃すことはしません」

 金色の瞳が、真っ直ぐに紅い瞳を射す。無表情に。淡々と続けた。

「この街とその近隣……いえ、人が住む場所から追放します。拒否しようものなら……」
「容赦はしないという事か。まあ、私も命は惜しい。言う事を聞こうじゃないか」
「人の認知なくして存在できない訳ではないのでしたら、直ぐにただの魔物として活動するべきかと」

 やれやれと口端を上げながら漏らした後、白いアンデッドは確かにその通りだなと返した。
 音狐に背を向けるように向きを変えて、音もなく闇の中へ消えていく。完全に奥へと行く手前で一度振り返り、

「私の名はナーガ。……さほど会う機会もなかろうがな。それではな、狐の娘よ」

 その言葉には答えず、睨みつける様に見送る妖狐の姿を見、苦笑する。

「おぉ、怖い怖い。これは迂闊に約束を破ったりできないなぁ」

 姿が完全にかき消された頃、音狐は月夜の下でひとりごちる。

「最近“発生”した屍ではないようですね。しかし、だとすれば何故今調査依頼と目撃証言が……」

 そこまで口にして、考え込むように視線を泳がせる。朱雀、と呼びかけるとその言葉に応じて炎に包まれた小さな鳥が舞い降り、一声鳴くと暗闇の中を照らしながら飛び去って行った。

「彼女のような心配も、あながち珍しい思考ではない、か」

 面倒なことになりそうです。と、朱雀の飛び去った方角を一瞥してから溜息を一つついて踵を返し墓地を後にした。
 月と星が煌いている。満月まで後数日と言ったところだろうか。満月になれば魔物の動きが活発になる。この頃の空気は少し毛糸が違う。恐らく、次の満月の日に何か動きがあるだろう。
 そんなことを漏らしながら。

挿絵

←前話 もどる。次話→  

inserted by FC2 system